社長のブログ

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  • 11.06.28 適地適作

     最近、日本でも中国の大干ばつが報道されるようになってきました。少なくとも、私たちがごぼう栽培などのため通っている江蘇省・安徽省は、かなり激しい干ばつでした。(6月13日~16日巡回)しかし、さすが治水の歴史が長いこの地域だけに灌漑も整備されており、人工的な潅水のおかげで壊滅した畑は全くありませんでした。更に感心したのは畑作地帯の食糧の基礎となる小麦だけは既に収穫を終え、比較的順調な作柄であったことでした。1メートル以上の地下にまで垂直に根をはり、干ばつでもタフに実を実らせる小麦。中国では4000年以上も基幹食料として人口増加を支えてきた小麦は、こういう難しい年でも安定している穀物なのです。それにしても「干ばつに不作なし」とはよく言ったものだなあと思いました。

     しかし、水不足でこそ大豊作という野菜があるのには驚きます。それは玉ねぎです。大干ばつのなかで、玉ねぎは逆に大豊作。10アールあたり7トンをこえる超効率収量で、6月半ばをすぎて産地の価格も大暴落。他の野菜の価格高騰をものともせず、優等生ぶりを発揮しています。

     昨年、私たちは北海道の多くの玉ねぎ畑において多雨による病害の発生などで期待した収穫量が得られませんでした。それにも増して、品質があまり良くなく困り果てたのはつい先日の記憶です。中国の大干ばつの真っ只中で北海道の結果と比較するに、適地適作とは何かについて考えさせられました。

     中央アジア周辺が原産地と言われる玉ねぎ。日本には江戸時代に伝わり、明治時代に札幌で本格的な試験栽培が始まり、その後、その滋養の豊かさで日本中に栽培が普及しました。玉ねぎ栽培は多雨の日本の気候条件と、結球に日長条件や気温が複雑に関与する生長特性から日本特有の品種改良が行われてきましたが、近年、ときには農薬などの手立てを講じなければならない気象条件に遭遇する場面があるようです。国内産野菜が全てという考えの方もあるかもしれませんが「無理をする必要があるのかな。」と感じている野菜の一つです。

     今回の中国滞在中に、この地域の玉ねぎ栽培は時として簡単な土壌消毒などを施すこともあるようですが、ほとんど農薬散布などは必要ないという現実を見せつけられました。適地適作とは何かについてもう一度考えさせられた次第です。
     個人的信念ですが「地球を畑にする」という発想転換が必要になっているのではないでしょうか。

  • 11.05.10 天候の不安

    毎年のことだが、いまの季節になると本格的な作付けが始まるとともに、作業は順調だろうか、種の発芽状況はどうだろうか、遅霜はないだろうか、と天候が順調であるよう祈るような気持ちになります。また、秋に播いた牛蒡もこれからが本格的な生育時期を迎えるので、これもこの一ヶ月が重要な時期です。

    昨年はこの時期が低温であらゆる作物が遅れたものの、5月後半、6月の高温で取り戻しました。しかしその後7月・8月の多雨と夜間の気温が下がらず、じゃがいも・たまねぎ・人参・ビートなど、多くの作物が大打撃を受けました。おととしに続く凶作に大打撃を受けたのです。ですから、私たちにとっては2011年の新モノの作柄に大きな期待をかけているのです。牛蒡も同様その後の豪雨などの影響を受けて不作。6月末、7月、8月の収穫が順調であることを願っているのです。

    野菜は自然が生み出すものです。順調な栽培を目指して技術の改良やあらゆる手を尽くしての工夫で天候不順に負けないよう全力を尽くすのですが、どうしても自然の力に勝てないことがある。そんな時に、個別の農家さん、あるいは更に個別の畑一枚一枚を観察しますと、なぜかうまくいっている農家さんや畑があるのです。どこが違うのだろう。事情を聞くと必ず何かある。去年のじゃがいもでは「暗渠(あんきょ)」のことはたいしたものだと感心させられました。畑の下に見えない排水溝を整備する。すごく手間とお金がかかることなのですが、日頃からこのような基盤整備を心がけた農家さんは結果がはっきり違うのです。どの農家さんもじゃがいもに空洞が入ってしまった去年の作柄ですが、こういう「アヒルの水かき」的な地道の努力をしてこられた方々はちゃんと結果になって還っている。

    「暗渠」のことは一つの事例ですが、農業は自然と格闘する人間の努力次第でかなり乗り越えられる要素もあり、これがとてもやりがいがあり、努力し甲斐のある奥の深い仕事だと感じています。経験と工夫で乗り越えられる可能性がかなりあるのです。しかしながら、プロの農業者でも18歳から始めて65歳までの間に一年一回、合計47回しか経験が出来ない仕事です。翻って、人類農業発祥から考えてもせいぜい8千年間、8千回程度。工場ですと毎日同じ仕事で製品をつくり続ければ年間300回以上、昨日の反省を正確に繰り返せば人類の農業の歴史を30年ほどで体験できるのです。工業の大発展とは、可能性の前提から農業にはハンディがある。私は個人的には、農業こそもっと研究体制が整備されなければならないと思います。観察と研究の努力こそ求められています。人類がいつまでも天に祈ることを続けなくて済むように。

  • 11.05.02 大震災からの復興

     3月11日の大地震に続く大津波、特に東北地区の被災された皆様方にお見舞いと、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

     少し遅れましたが、4月29日より5月2日の4日間、宮城、福島地域の古いお得意様を訪問させていただきました。本来であれば三陸地域のお得意様も訪問せねばならないところですが、時間的制約もあり、限られたお得意様だけにお見舞いに伺わせていただきました。お店も自宅も全て津波で流されてしまった方もおられ、聞く話の無残さはこの世の出来事とは思えない、想像もできないようなお話でした。津波の被災現場は、かつての風景が一変、全て飲み込まれ何にもなくなってしまっている状態にただ唖然とするばかりでした。

     2年前に伺いました折は、漁船が行きかい、次々に魚がせり落とされていったあの元気な石巻漁港が、周辺の加工屋さんや魚卸のお店ごと壊滅状態でした。かつてなつかしい漁港岸壁に近づくと、なぜか海が高く見える。潮が高くなる時間のようで、排水路からは海水が吹き出ています。おそらくこれは、岸壁ごと陥没し、陸が海とそう変わらない高さになってしまったのでしょう。散乱する自動車、見慣れた機械、どこかの練物屋さんから飛び出たのだろうと思えるようなすり身のラインなど、道に散らかっているのです。見るも無残な風景。

     しかし、かつての豊かさは何としても取り戻さなければならない。ここで、公共が力を発揮すべきでしょう。もちろん民は民で一生懸命やっている。3月11日から10日間以上も着たきりで働き通した漬物問屋さんの話や、製氷機のてっぺんにしがみついて一命を取り留めたお話や、その後もみんな必死で努力している。農水は早く港を整備し、なおして欲しい。金華山沖の豊かな水産資源でもう一度この地域を元気にしなければならないと思う。道路や鉄道と同じで、漁港と流通窓口であるセリ場は、急いで復活させる必要がある。水産品という天の恵みをいっぱいに受けて発展してきたこの地域に、昨日までの活気を取り戻すには、漁業基盤復興の大英断が必要だ。これに使うお金は、必ず取り戻せる。みんなで働いて必ず取り返せる。だから早く決断して、早くやってもらいたい。私たちも、もう一度水産品のメニュー開発に注力したいと思う。

    次の訪問先は、仙台の大手水産荷受だ。

  • 11.03.09 「筍」は高級野菜

     野菜として食用にされる代表的な筍は、「孟宗竹」で日本にもともとあった竹でないことははっきりしているようです。間違いなく中国沿海州から日本に持ち込まれ、全国に広がったもののようです。ですから日本への定着はそんなに古い時代のことではないと思います。

     私たち日本人はとても筍が好きで、春から初夏にかけての味覚といえば真っ先に思い浮かべるのは筍だと思います。それもほとんどの方が思い浮かべるのが孟宗竹の筍ではないでしょうか。弊社も30年以上にわたり中国安徽省、浙江省、福建省など孟宗竹のある地域で収穫期に缶詰して輸入保存し周年、煮物の材料として使ってきました。それ以前は、九州四国地域から缶詰に加工されたものを使っていました。50年前に先代の私の父が筍とアラメ(地元産の海藻で「相良メ」又は「荒布」とも呼ばれている昆布の仲間)を甘辛に煮付けたのが最初でその当時は、九州の筍でした。当時10歳だった私は学校の休みや放課後父母の手伝いをしましたが、手切りしてから釜で煮て、冷やしてポリ袋につめて口を輪ゴムで縛るだけのものでしたが、それが飛ぶように売れて。あの当時の静岡地場料理の大ヒットだったのかもしれません。

     時が過ぎいつの間にか日本も豊かになりその後15年くらいで九州や四国の筍缶詰の供給はだんだんと細くなっていったのです。なぜなら「たけのこほり」は大変な仕事で、よほどお金にならないと掘ってくれなくなってしまい、筍缶詰の買い上げ単価では原料筍が集まらなくなってしまったのです。そして中国のもともとの自生地で、筍缶詰の本格製造が始まったのです。それからまた30年以上、通算しますと私の記憶に有る限りこの50年以上にわたり筍という野菜は、缶詰技術のおかげで旬の高級野菜という印象は薄れ、いつの間にか一年中食べられる保存野菜へと認識が変化していったのです。

     幸いなことに日本から中国へ場所が変わって、筍の場合は孟宗竹の自生地の原点に帰ったのです。適地適作の弊社の理念から照らし合わせると栽培は適地に帰った歴史なのですが、筍の竹林は耕地面積あたり収入も少ないので、ほとんどが斜面地栽培。中には20度を超えるような急斜面も少なくなく、収穫作業は大変な重労働です。農家に現金収入のほとんど無かった当時とはうって変わって、豊かな中国の実現とともに、ここに来てかつて40年前に日本の農村で経験した様な「誰も収穫に行ってくれない。」という悪夢が中国でも現実のものになったのです。

     実は、中国の特定地域の筍はとても品質が良く、『日本産』と変わらないほどおいしい。供給体制が急激に整備され需給が緩んだために起こった瞬間的な安値だったこと。中国農民の安い労働力を輸入したに過ぎない発展段階で瞬間的に起こる現象であることも忘れかけていたのです。

     私たちは、ここからが腕の見せ所と考えています。筍はとても体に良い野菜です。日本人のこの食習慣が継続できるよう努力する責任があると痛感しています。これから始まる筍収穫に向け知恵を絞っています。

  • 11.02.03 キャベツのルーツは地中海

     アブラナ科の野菜類の歴史については全くの聞きかじりですが、日本人がこれほど沢山の種類の「菜っ葉」を食べるようになったのは実は明治以降のことのようです。結球レタスなども私たちが子供の頃にはこんなに普及していなかった。大根、カブのように地下に結球するアブラナ科と違い、地上に結球するアブラナ科「ザーサイ」に至っては漬物として日本に入ってきてから、お惣菜としてこんなに普及するとは誰も考えていなかった。花蕾(からい)を食べるブロッコリーなども、記憶に新しい野菜です。

     かくのごとく、アブラナ科の野菜はいろんな種類で私たちの食卓を豊かにしてくれます。でもなんといっても私たちの世代にとってのアブラナ科の代表は大根とキャベツでしょう。ところで、沢庵に代表される日本的メニューの付け合せ代表の大根と、とんかつの付け合せキャベツ食べ放題の全く違うイメージは、二つの野菜の歴史としっかり重なり合っていることを考えさせられることがあります。一方は日本的伝統漬物であり、一方はソースをかけて食べる実に素朴なサラダなのです。

     大正生まれ農家出身の母は、キャベツが日本人にとってそれ程歴史の長い野菜でないことを教えてくれました。その当時の母にとってはいわゆる外来野菜の認識だったのです。野菜の歴史とその料理メニューは、しっかり重なっています。私にとって外来野菜のおふくろの味は、「ロールキャベツ」でした。その後、この仕事を通してキャベツの発祥が地中海ヨーロッパであることを知り、料理文化とセットになった野菜の歴史を考えさせられました。

     あれから50年も過ぎた今、寒いお勝手で母と一緒に巻いたロールキャベツの味を何とか再現したいと念願しています。未だ私たちの料理は稚拙ですが、あの頃の寒いお勝手のぬくもりをお届けできればと無い知恵を絞っております。

  • 11.01.01 新春を寿ぎ謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

    新春を寿ぎ謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
    旧年中は、弊社製品をご愛顧下さり感謝申し上げます。
    本年も相変わらずのお引き立てを賜りますよう御願い致します。

    一昨年、昨年と続いた天候異変の結果、野菜の作況は不良を極めました。原材料の仕上がりは非常に不安定で、お客様のご要望にも十分にお答えできていなかったのではと、過ぎ去った一年間を振り返りますと心の中に悔いのようなものが残っております。農作物は、自然の中で栽培するものには違いありませんが、「技術」と「工夫」と「努力」が不足していたために乗り越えられなかったと反省しています。

    この反省を「ばね」にして、いつも川上を大切に、「原料にこそ製品作りの根本が有るのだ」との信念をたゆまず実践して参りたいと新たな決意を固めております。更に原料産地、栽培現場に注力してまいります。今年も変わらぬお支えを御願いするものです。
    有難う御座います。

  • 10.12.29 「適地適作」と「カボチャ」

     「地産地消」もまた良い考えですが、我が社の信念は「適地適作」です。

     地産地消とは、できるだけ近いところで採れたものを食べて暮らすのは、理にかなっていて健康にも良いということだと思います。また、これはエコの観点からも大切なことだと思います。この考えには、大賛成です。

     しかし我が社の信念は「適地適作」です。
    ご案内の通り、適地とはその作物にとっての栽培適地のこと。適作とはその作物にとって最適な作型のこと、つまりその場所でいつ種まきし、いつ採ったら一番条件良く栽培できるかの栽培形態やタイミングのこと。

     カボチャこそこの適地適作のテキストのような作物なのです。例えば、8月、9月は日本ではカボチャは沢山収穫できますが、ニュ―ジ―ランドでは、2月、3月に収穫できるのです。適地を見つけながら、その場で適当な作型を確立して栽培しますと、地球上に周年栽培の仕組みを作りあげることが出来るのです。この20~30年の先人たちの創意工夫のおかげで、今では地球を舞台にした世界分業が確立され、産地を転遷しながら一年中おいしいカボチャを食べられるようになりました。あるときは日本、あるときはニュージーランドあるときはメキシコといった具合に。あらゆる産地が露地栽培で、施設等は全く使いません。栽培品種も「えびす」「味平」といった日本でおなじみの代表品種です。適地適作を貫きますと、農薬も減らせます。実に理想的なエコ栽培です。かつては温室や燃料による加温まで使っていたカボチャ栽培も昔の話になりました。

     輸送はハンデイになるでしょうか。四方を海に囲まれた日本。海を駆使した水運こそ省エネ輸送の典型ですし、貿易立国日本を支えてきた海運こそ世界と日本を最も安いコストで結ぶ、理想の仕組みであったのです。この意味で、島国日本にとって「世界分業」のメリットは最大限享受できるのです。

     おいしいカボチャからおいしいカボチャ料理を作る。その理想に燃えて、地球を駆け巡る野菜と格闘しています。

  • 10.11.25 カボチャとの格闘

     いつの間にか、カボチャは世界を駆け巡るようになりました。ハウス栽培などから始まり、日本の南から北へ走り抜けていたカボチャはいつの間にか地球規模で適地適作を確立し、日本からニュージーランド・メキシコと一年中、生鮮が手に入る野菜へと変身しました。日本は今、冬を迎えようとしていますが、ニュージーランドはこれから夏になろうとしています。この地球の気候変化を利用すると、カボチャは燃料の無駄などして施設で作らなくても年中生が手に入るようになりました。また保鮮技術の進歩で、冬至のカボチャも生から煮あげられるようになりました。

     手鍋の煮物から初めて35年、カボチャのサラダ・煮物の難しさは身にしみて感じてきました。長年の格闘の結果、北海道のカボチャ栽培、ニュージーランドのカボチャ栽培など若干の知見を得て、この12月からカボチャサラダ、カボチャ煮物の本格製造販売に取り組もうと考えています。まだまだこれから修行の段階ですが、これまで原則としてきた「粗原」(手付かずの原菜)からの取り組みをカボチャでも実現できるよう努力してまいります。

     「粗原」での集荷体制と保鮮技術の組み合わせにより年中「生」から立ち上げるカボチャの煮物・サラダをもっとおいしく経済的にご利用いただけるよう研究を続けてまいります。

  • 10.10.19 丹波の黒豆

     豆類の収穫の季節がやってきました。

     豆にもいろいろな種類があって、主として私たちが取り扱っている豆類は、金時豆、白花豆などのインゲン類、青エンドウ、赤エンドウなどのエンドウ類、大納言、小豆、ささげなどの小豆類、大豆類があります。黒豆はもちろん大豆類に入ります。

     これは私の推測ですが、黒豆はもともと大豆類の中で黄色や緑、茶などの色の品種から、表皮が黒く色素変異を起こしたもので、もとの品種の性質をそのまま受け継いでいます。その点から見ますと、黒豆はどうも日長に反応する大豆の品種が先祖らしい。日照時間に本能的に反応し、夏至(6月20日近辺)が過ぎ日長が短くならないと絶対開花しない晩生種。従い、その後の受粉、結実という時間経過を考えますと、遅霜や雪の被害が出やすい11月も終わりに近づかないと収穫できない。
     しかもおせち料理の需要に間に合わせるためには若干早めに収穫し、急いで強制乾燥して流通できるよう少々無理をします。

     こうした、生産過程には少しの犠牲を払わなければならない面が有りまして、実際においしい黒豆をじっくり生産しようと丁寧に仕事をすると、年が明けてからの流通という形になってしまうのです。私たちは、正直に言いますと、毎年、前年収穫の黒豆を手配し製品化しています。そのほうがおいしい製品をつくることが出来ると考えています。

     もう一つ、近年人気のある丹波の黒豆ですが、これは比較的最近、といっても60~70年くらい以前から、系統選抜と呼ばれている手法で、何代も大粒の選抜を繰り返しエリートを選抜し続けあの大粒の豆が生産できるようになりました。これはまさしく日本の育種技術の珠のものです。

     私たち長年煮豆の世界で生きてきたものは、この時期になりますと黒豆のことが頭をよぎります。そして、営々と引き継がれ、工夫が継続される農業の技術とその恩恵によって支えられている豊かな食生活に感謝の思いが強くわいて来ます。

  • 10.09.16 野菜が高い

     全国各地から天候不順による野菜の不作が伝えられ、市場への出荷量も大幅に減少するものが出て市場相場も歴史上無かったような高値が続いています。もちろん私たちの原材料とて同様であり、この状況を必死の工夫で乗り切ろうとしています。現況の中から我が社の中心的原料である北海道のジャガイモについて収穫の速報をさせていただきます。

     作付けの遅れについては既に報告いたしましたが、その後の異常といえるくらいの高温続きで回復、順調な生育でした。ところが、7月・8月の高温多雨で、本来冷涼で乾燥を好むジャガイモにとって無理な環境になってしまいました。それでも農家の皆様の懸命な努力と工夫のおかげで収穫のときを迎えることが出来ました。これに加えジャガイモが本来持っている強さのおかげで、9月10日時点までの報告ですと期待していた収穫量の90パーセント以上の量は確保できております。

     しかし、中には豪雨などのダメージで壊滅的な被害を受けた畑もあり、30年間、私自身も経験してこなかったような惨状も見させていただいておりまして、つくづく農業の苦労というものを痛感しております。

     こういう時こそ、農業の現場と家庭の食卓を結ぶ役割を担う私どもの力量が問われるのであって、農家さんには少しでも所得確保できるような荷物の引き取り方、お客様には変わらぬ味と品質の確保でお答えしなければなりません。現場重視のヤマザキの真髄が問われるのです。いよいよ、2010年秋収穫の「新モノ」への切り替えを間近に控え生産現場は、緊張の中で準備を進めています。